しゃっくりと水戸黄門

しゃっくりの治療

前回記事から少し間が空いてしまいました。

もし楽しみにしている方がいたら、お待たせしました。

今回も、しゃっくりについて語っていきたいと思います。

 

時代をさかのぼり、時は17世紀の日本、江戸時代です。

そのころの書物にもしゃっくりについての記述を見つけることができます。

しゃっくりは吃逆(きつぎゃく)と呼ばれ、昔から不快な症状として知らていました。

今回は、皆さんもよくご存じの水戸黄門と、しゃっくりの関係について述べます。

 

ドラマや映画において、水戸黄門こと徳川光圀は全国放浪のイメージがありますが、実は全国の旅はしていなかったようです。

しかし、藩主であった徳川光圀公は、水戸藩の政治や日本初の歴史書である『大日本史』編纂など多いに活躍したようです。

 

そんな光圀公は、庶民が病気や怪我の際、薬の入手や医者の治療を受けられないことを知り、藩医に命じ、薬草の処方を記させました。

それが元禄六年(一六九三)に発行された『救民妙薬』です。

水戸黄門のイメージ通り、庶民の味方だったんですね。

 

救民妙薬には、吃逆についての記述があります。

吃逆の項には、柿蔕粉(かきのへた)と記されています。

(私には書の才がなく、詳細な書き下しができないのが残念です。)

 

柿のヘタは、しゃくりの特効薬として古くから用いられてきました。

1200年代に中国から伝わった書にも、吃逆と柿のヘタについての記述があります。

 

生薬名は柿蔕(シテイ)とされ、丁子(ちょうじ)、生姜(しょうきょう)とともに煎じる、”柿蔕湯(シテイトウ)”が漢方処方として残っています。市販薬として購入することもできます。

また、病院などでは、柿のヘタのみを煎じる、”柿のヘタ煎”が院内製剤として使われることもあり、その効果について注目されています。

しゃっくりに対する柿のヘタの効果については、今後ご紹介できればと思います。

 

たかがしゃっくり、されどしゃっくり・・・。

今回はしゃっくりと有名人のつながりについて、お伝えしました。

今後も、しゃっくりにまつわるいろいろ、語っていきたいと思います。